生きる意味を揺るがされるレベルの衝撃を受けることがたまにある。
数年ないこともあるし、たった数か月で次の衝撃が来ることもある。
2018/10/20に行われた「VRアートイベント」のらくとあいすさん(@rakuraku_vtube )のライブパフォーマンスは、まさにそれだった。
僕はYoutube Liveの生配信で見ていたのだが、自身で開発したVR楽器を、技術アピールのためではなく、一つの作品の肝となる道具として使いこなし、圧倒的なエンターテインメントへ昇華させていくその様子は、自分の憧れるクリエイターの姿そのものだった。
観た直後の感想:
ちょっとらくとあいすさんの演奏があまりにもあまりにもで何も考えられなくなりますね…観なかったことにしたいくらいの衝撃ですね…
— ぴぼ@VRChat (@memex_pibo) 2018年10月20日
一言でまとめることなど到底できないが、「パフォーマンスのための技術は、やりたい表現が先行であるべき」ということを強く再認識したパフォーマンスだった。
僕は「音楽を技術で更新する」というテーマを「Augmented Music」と呼んで、ものを作っていきたいと考えていたのだが、いかに自分の視野が狭かったかを思い知らされた。
後から見返したら恥ずかしくなること必至だが、この熱が冷めないうちに感想を書き、そしてなぜ自分がここまで心を動かされたのかを分析して記録しようと思う。
注意 – まだ表題のパフォーマンスを観ていない方へ
この先を読む前に、まずアーカイブをご覧ください。
まっさらな状態でこの映像を観れることを今はもはや恨めしく思います。
ネタバレ防止に改行しておきます。
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構成
まず、自分が理解した範囲でパフォーマンスの内容を記し、それぞれに感想を記す。パフォーマンスは大きく分けて3つのセクションがあった。なお、見返して気づいた点が多分に含まれる。
- 投げるとメロディーを発する球体によるオープニング
- 複数の音色・トラックを重ねていく演奏
- 録音された伴奏に合わせた2つのVR楽器の演奏
投げるとメロディーを発する球体によるオープニング
内容
- ピアノで奏でられたメロディーを発する5つの球体を1つずつ投げていく。
- 音はその球体についていく。
- 5つの球を用いて、美しいピアノの前奏を奏でる。
- (1つの球体につき1つのコード・メロディが割り当てられていて、順番は決まっていたと思われる。最後の球体は投げず、触れていた)
感想
長くなったので、下記箇条書きの、字下げのない(一番左の黒丸)行を読めば意味が伝わるように書きました。
- 僕は、VRライブにおける楽器の演奏の本質は、観た人が「音が聴こえたという現象が、演奏者のなんらかのアクションに由来していると思える」ことだと考えている。これを便宜上「音の因果」と呼ぶ。
- VR空間での音楽ライブを志す者にとって、いかに「音の因果」を表現するかは重要な課題であると思う。
- その印象を与えるために最もシンプル(かつ実現の難しい)な方法は、現実における楽器演奏のアクションをVR空間で同じように再現することである。
- たとえば
- バーチャルキャラクターの身体表現を拡張する新技術 リアルタイム演奏データからの「運指再現技術」を独自開発 ~ときのそらデビュー1周年記念特番でピアノ演奏を披露~|ニュース|広報情報|株式会社ドワンゴ http://dwango.co.jp/pi/ns/2018/0914/index3.html
- VRChat内でも、リアル楽器を生演奏するときは、下記のような方法で「音の因果」の表現が試みられている。
- VRコントローラを手に持ちながら演奏する
- トラッカーの役割をコントローラ扱いにし、手に固定して演奏する
- 演奏しているアニメーションを用意し、再生する
- しかし、VR空間でリアルでのアクションを再現するのみでは、「アナログな振る舞いのデジタル劣化版」を見せているだけになってしまう。そのため、何らかの付加価値が必要になる。
- その付加価値には、例えば下記のものがある。
- 現実空間には存在しない人格(VTuberなど)が演奏する
- 現実空間では不可能な効果を付加する
- その付加価値には、例えば下記のものがある。
- たとえば
- 球を投げて演奏するというアクションは、現実の再現を志向していない。
- このパフォーマンスを観て気づいたのは、現実の再現を志向しない場合に、「技術的に不可能だから」以外の、「納得しうる理由」を示す必要があるということ。
- つまり「あ、VRじゃ弾けないから録音したのを再生しているだけでしょ」と思われない「こうじゃなきゃいけなかった」説得力を持っていた。
- 球を投げて演奏するアクションが、暗い世界に、音が光と共に空に飛んでいき、そして始まるという、世界観のための演出になっている点が、今回の「納得しうる理由」だと思う。
複数の音色・トラックを重ねていく演奏
内容
- 四角形のターゲットが複数並んで成した円が、垂直に3つ並んでいる。円は回転している。
- 先ほどとは異なる球が並べて7つ置かれている。
- 球を1つ持ち、ターゲットに触れさせると、ハープのような音が鳴り、音符のパーティクルが現れる。
- 1ターゲットにつき1音が割り当てられている?
- ターゲットは回転しているので、その場に球を固定すると次々音が流れていく。
- 球を離すと空中に固定される。1つの円に(おそらくあらかじめ)記録されたメロディーがループ再生されていく。
- 次の球体を手に取り、別の円周上に球を置く。これを繰り返し、パートが増えていく。
- 4つ目のループで、電子音のドラムが再生される。その瞬間、クラブを彷彿とさせるような紫色の照明がワールド全体を妖しく照らす。
- 5つ目の球を、3つ目の球を置いた円周上の、3つ目の球の対角に配置する。
- 調和のとれた美しい低音の和音が響く。特定の球配置で調和が成立するようにターゲットが並べられている?
- 6つ目の球を1つ目の球を置いた円周上の、対角に、7つ目の球を90度の位置に配置する。
- こう配置することで、同じメロディーが3回ディレイのように繰り返される。
- 少しずつパートを間引いていく。
- こうして生まれていく曲の進行中、アドリブでターゲットに触れることも行う。
感想
- 生放送時は、ルーパーになっていて、演奏を記録して重ねているのだと思った。
それは、「1曲のために1つの楽器を作る」という発想が僕になかったからだ。 - どちらにせよ、球がターゲットに触れることで音が鳴るという「音の因果」は明瞭すぎるほどに表現されていた。
- リアルでもそうだが、音楽ライブにおいて、「予測不可能性」は、ライブを行う最大のメリットだと思う。
- 極端な例:
- 全くMCをせず、アルバムの曲を上から下まで順番通りに、寸分の狂いもなく演奏するだけのバンドのライブがあるとして、それをわかっていて観に行く人は、多くはないと思う。(ものすごくテクニカルな演奏をする曲芸師を除き)
- 極端な例:
- 特に音楽知識のない人でも、今まさに目の前で曲を作り上げているということが理解できる表現になっていた。と思う。この予測不可能性に物凄く高揚した。
- そして、演奏された音楽が、「まあルーパーだったらこんなもんだよね」というものではなく、極めて完成度の高く美しい音楽(主観)である点も非常に重要である。この楽器を用いることの説得力が増すからだ。
- 何度演奏しても1回として同じ演奏にならない点も、楽器らしいし、何度も足を運びたくなると感じた。
録音された伴奏に合わせた2つのVR楽器の演奏
内容
- ピアノのイントロから始まる伴奏が再生され、それに合ったパーティクルが現れる。
- しばらくすると、2つのバチを持った演奏者が現れる。
- バチを振るった軌跡には光の線が残る。
- 伴奏にドラムが入ったころ、三段に重なった木琴のような楽器が現れる。
- バチで木琴に触れると、それぞれの部位ごとに異なる音が再生される。
- 楽曲の展開が変わり、1.で使った球を投げる。今度は電子音的なメロディーが再生される。
- また木琴のような楽器の演奏に戻る
感想
語彙力がなくなる
- 木琴のような楽器と、その演奏技術に感動する。
- VRコントローラで木琴を叩くと、跳ね返りがなく貫通してしまう。それを逆手にとって、貫通した先に別の音を用意するというアイデア。単音で意図的にメロディーを演奏でき、和音も演奏でき、さらにかき混ぜるような連続的で複雑な演奏も可能にしている。伴奏の盛り上がりに合わせて緩急のついたソロを演奏されていた。
- 伴奏自体がかっこよすぎる… 映画のサウンドトラックのような壮大な音楽が、VRChatで音楽ライブをするという未来感にマッチしていたと思う。
- 盛り上がったところでまた光る球を空に投げる演奏が本当に美しかった。曲と合いまって、未来への希望を示すような表現に感じた。
自分はなぜ衝撃を受けたのか?
観終わった後、ずっと放心していた。
ここまで書いてきたことによって、なぜ衝撃を受けたのか、少し自分の中で整理できた。
衝撃を受けた原因と思われる主な要素を下記に示す。
- 自分がVR空間で音楽をするうえで、重大な課題だった、「音の因果」「予測不可能性」について、鮮やかな1つの解決を見ることができたから
- つまり、自分の関心がものすごく深いトピックだったから
- 1つの曲のための1つの楽器を作るという莫大な労力に、クリエイターとしての熱量を感じたから
- 新技術ではなく音楽作品として、観客を突き放すことなく楽しめる形で発表していたから
- そもそもの曲がかっこよすぎるから
今後自分はどうするか?
完成された作品を後付けで考察するのは誰でも出来て、そしてその考察を踏まえて、必要そうな条件を満たしたからといっていいものができるわけではない。
今作っているものがこんな衝撃を与えられるかは、わからない。少なくとも今は、ここに挙げた要素とは全く関係のない、ある種トラディショナルなものを作っている。同じ人を同じように刺すことはできない。もう穴が開いた後だから。
正直かなりへこんだ。
が、自分の作品がこんな風に、誰かに刺さるものだと信じて、ブレずに作ろうと思う。